2009年10月01日

【読了】反=日本語論【五】

「日本語に酔う」という表現がぴったりくる。
百聞は一見にしかず。少し引用してみる。

p.35
あるイメージの記憶

何も別だん斜に構えて無関心を誇示する必要もないし、軽蔑や敵意をちらつかせつつ批判めいた言辞を弄するほどの興味もないのだから、たとえばそれが世界に存在してしまうことを不当だと断じようとは思わぬが、さりとて積極的に好きになる理由も発見しがたいといった料理とか人の顔とか、とにかく曖昧にその脇をすりぬけてしまえばもうそれで充分だと納得しうる種類の何ものかの一つとしてテレヴィジョンと呼ばれる装置があるわけで、まあいってみればすべては趣味の問題に帰着しうるとするほかはないのだが、たぶん倖いなことにというべきだろう、妻もまたさりげなくその無関心を共有してくれるので、テレヴィジョンへの執着の希薄さは、もちろん「比較的」というほどのことだが、われわれの子供のうちに遺伝として確実に受けつがれている。というか、当年九歳になる一人息子は、両親との類似を装う術をしかるべく心得ていて、いまのところは反乱の気配すら示そうとはしない。


このような文章が300ページにわたって続く。
しかも、引用部分は非常にわかりやすい、意味のとりやすい部分であって、そのほか大部分は一体何の話なのか、度々自分のいる位置を見失ってしまうような状況が続く。
もちろん、このことは私の日本語能力が低いことの現れでもあるわけだが、それにしても、これを易々と読み切る人がいるとは、現状の私の頭では想像しにくい。

理系の私は、文章は簡潔にわかりやすいほどよろし、という教えを金科玉条として、これまで来たわけだが、この本はそれとは全く逆を全力疾走している。
文系の本気をかいま見たようで楽しい。

本書は1986年の発売で少し古い。
すでに絶版なのかAmazonでも新刊はなく、中古を買うより仕方ない。
著者はフランス文学者の蓮實重彦。東大総長を務め、映画にも造詣が深い。

私がこの本を知ったのは、何かの本に本書の後書きが抜粋されて記載されていたことによる。
それは著者の奥さんによる文章で、フランス人から見た日本の文化、特に視線の使い方の違いを書かれており、平易な文章ながら視点の鋭さに興味を持った。
是非全文を読んでみたいと思って、取り寄せたのが本書であり、後書きをすべて読むことがかなった上に、(偶然にも)これまで見たこともないような文章に触れて、完全に翻弄され、酔ってしまった。
元々フランス語は一文が長いと聞いたことはあるが、まさにこの本はそれを日本語でやってみたという感じがする。

内容はエッセイ的なまとまりに分かれたいくつかの文章で、フランス人の奥さん、日本語・フランス語両方で育つ息子とともに出会う言語的摩擦と葛藤をもとに、独自の日本語論を展開している。
著者が本当に訴えたいところを、私は十分読み取れていないとは思うが、それでもくらくらしながら読書の楽しさは味わえた。
また、まとまった時間がとれたら再読したい。



posted by K大 at 22:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 本を楽しむ
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