2008年11月01日

トリアージを巡る国民性

「トリアージ」という言葉がある。

人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。
Wikipedia


関連して、まさにその通りなエントリを見つけた。

お役人の事なかれ主義も問題だが、ニッポンでは何が何でも「被害者」が絶対的に可哀想という「100%安全信仰」みたいなものが強すぎ。これに迎合してマスコミは○○による「被害者」を大々的に取りあげ、嬉々として犯人捜しをやる。その○○のおかげで救われたケースは全く無視。これでは誰も責任追及をおそれ新しいことはやらなくなってしまう。冷静な判断が出来なくなる現象はBSEの例で見られる。
日経:完ぺきな安全を求めるあまり、大勢の命を危険にさらしている日本の医療(Letter from Yochomachi)


救急に限らず、世の中に完璧や完全というものはほとんどない。
私が大学時代にある航空会社に研修に行ったときには、これから飛ぶ飛行機の主翼の一部に亀裂が走っていたが、結局その亀裂の端っこに丸い小さな穴を開けて亀裂が広がらないようにして、飛んでいった。
また、今の仕事を見渡しても、何らかの不具合を抱えながら稼働しているシステムばかりである。

もちろん、これらは致命的な支障を来さないことを確認できているからこのような対策で継続した運用を行うわけだが、世の中には「完璧・完全でないから失敗した」みたいな論調が多すぎる。

80%の完成率を100%にするには、80%までの手間と同じぐらいが必要だと何かで聞いたことがある。
かけられる手間や資源には限りがあるのだから、いかなるものにもトリアージの考え方は必要だし、実際社会はそのようにして動いている。
少しでも社会に出ていれば当たり前のことも、マスコミの垂れ流す偽善的情報に踊らされていると、なかなか気づけない。

こういうことも早い段階、学校できちんと教えるべきことだと感じる今日この頃。
posted by K大 at 22:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日々雑感
この記事へのコメント
職業柄でしょうか、最近同じようなことをよく考えます。

システムは完璧に動いて当たり前という論調はありますよね。特に「エンドユーザ」には多いような気がします。

日本によくあるような、ユーザーごとに完全オーダーメイドな大規模システムともなると、試験で気の遠くなるほどのバグが出るのは当たり前。C/O前に全部つぶせてるとはとうてい思えません。

完璧を求めるのであれば、稼働事例が山ほどあり枯れている既存パッケージを使うべきだと思うのですが、パッケージに業務フローを合わせられない日本の企業は、今後も莫大なシステム投資をするんでしょうね。

まぁ、それが「メシの種」ではあるのですがw
Posted by まるちん at 2008年11月02日 03:55
> まるまる
コメントどうも。

言っていることはその通りね。

特にオーダーメイドを求められるこういう業界は、建築とか土木といったものに比べて歴史が浅い。
なので、エンドユーザもその先の利用者も建物とか道路みたいな比較的単純で実際のものが目に見える成果物と同じように考えるきらいがある。
ソフトウェアの世界は作っている人間にとっても、担当者じゃないとわからんということばかりで、それが複雑に絡み合っているから、全体として一つも欠陥を出さないなんてほとんど不可能。

オーダーメイドでないマイクロソフトとかその他大手SW会社も、豊富なリソースを使ってパッケージを作っているけど、最後は「それは仕様です」で逃げるし、本当に難しい。
それでも日本的な「業務にシステムをあわせろ」よりは不具合が少ないけど。

日本も諸外国のように
「うちのシステムは最高で、世界標準だからお宅の業務を変えなさい」
と言えればいいのだけど、なかなか国民性からしても、歴史の浅さからしても難しい。
まあ、BPM(Business Process Management)を通して、お互いに歩み寄る形をとれば少しはましになるとは思うけど。

これだけシステムに莫大な投資をしている日本企業は世界で生き残っていけるのか不安だわ。
と言っても、これがなくなると我々が生きていけないわけだが…ww
Posted by K大 at 2008年11月02日 17:51
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