2008年06月29日

オペラ「ナクソス島のアリアドネ」

東京二期会公演オペラ「ナクソス島のアリアドネ」の最終日公演に行ってきた。

昨日、那覇空港で起きたシステム障害の関係で、もしかするとオペラをキャンセルして那覇に飛ぶ羽目になっていたかもしれなかったが、担当者を中心とした深夜に及ぶ対応のおかげで無事にオペラを見に行くことができた。感謝。

オペラの印象が薄れないうちに、覚えていることをメモ。

「ナクソス島のアリアドネ」はリヒャルト・シュトラウスによって1916年初演の比較的新しいドイツ物オペラ。(wiki)
無知な私は今まで題名すら聞いたことのないオペラだった。

内容は2場面に分かれる。

■プロローグ
ある大富豪のパーティーのために準備中の舞台裏。
新作オペラを依頼された作曲家は自信作「悲劇・ナクソス島のアリアドネ」の最後の稽古のために舞台裏にやってきたが、そこには彼のオペラの後に演じられる予定のコメディ「浮気者のツェルビネッタと4人の恋人たち」の出演者が控えていた。
崇高な思いを込めた悲劇オペラの後に、俗世にまみれた軽いコメディが上演されると知った作曲家は「これではオペラが台無しだ」と執事長につめよるが「すべてはご主人様が決めることだ」と取り合ってもらえない。
オペラの出演者とコメディの出演者が互いに相手を悪く言う中、執事長が再び現れ
「ご主人様の気が変わった。オペラとコメディを同時に上演しろ。」
と言い残して去る。
作曲家は絶望してオペラ上演を中止してその場を去ろうとするが、恩師やコメディの座長・舞踏教師になだめられ、またコメディ主役のツェルビネッタにおだてられ、奇妙な悲喜劇「ナクソス島のアリアドネ」の幕が上がる。

■本幕
たった一人の恋人に荒れ果てた無人島へ置き去りにされてしまったアリアドネ。
近くにいるのは3人のニンフ(妖精?)「木の精・水の精・エコー」のみ。
アリアドネは自らの境遇に絶望し、死を願う。
一方そのすぐ横でツェルビネッタと4人のコメディアンが無人島バカンスを楽しんでいる。
4人のコメディアンはあまりに深刻なアリアドネを見て、励まそうと歌ったり踊ったりするが効果なし(アリアドネにとっては無人島に一人+ニンフだけなので反応のしようがない)。
それではだめだとツェルビネッタが現れ、「男と女の関係なんて…」と長いアリアで説教するがやはり効果なしでアリアドネは洞窟にこもる。(アリアドネにとっては(略))
4人のコメディアンはアリアドネの存在を忘れたかのように、交互にツェルビネッタを口説こうとドタバタ芝居を繰り広げる。
ひとしきり終わった後、ニンフたちが突然現れ、バッカスという男性がやってきたことを興奮して告げる。
アリアドネはバッカスを死に神と思いこみ、そちらの世界に連れて行ってくれと願う。
一方バッカスは魔法使いに苦しめられた経験からアリアドネを魔法使いかと思い、2人の言葉は全くかみ合わない。
しかし長い二重唱の中で2人の認識・想いはだんだんと近寄っていき、ついにはアリアドネから死が消え去り、生(愛)がよみがえる。
そこにもう一度ツェルビネッタが現れ、「結局別の神様(男性)が現れたらついて行くのね。やっぱり男と女の関係なんて…」と冷やかすが、オペラ組は意に介さず幕が閉じる。



このオペラは複雑である。
そもそも、悲劇と喜劇を同時に上演する、しかも悲劇側と喜劇側に交渉は全くないまま舞台の幕が上がり、幕が下りる劇中劇。
また、執事長から「花火が上がる予定だから21時には必ず終わりなさい」と言われているためか、オペラの主である悲劇側の背景がよくつかめないまま話が進む。
私にとってオペラは比較的単純なストーリーが芯としてある中に多少の肉付けがあるイメージなのだが、この作品は何が何だかよくわからないままに進んでいってしまった。

また、プロローグにおいて、コメディと同時上演されることを強烈に嫌っていた作曲者が、同時上演どころか一緒にやれという話を受けてしまうに至った心情変化もよくわからないままだ。
多額の謝礼がもらえたり、上演しないよりはよいという台詞もあったが、自分の処女作に対して強い思いを持っているはずの作曲者の中で、今回の事態をどのように収拾して本番に至ったのか、謎は深まるばかりだ。
ここには深い見解が記されていて参考になる)

音楽はきれいで聞きやすくはあったが、所々の長時間アリアには少々うんざりしてしまった。
同じようなことを延々10分も20分も歌うもんだから、私のようなずぶの素人には「わかったからもう次にいきなさいな」と言いたくなってしまう。
きっと玄人にはこういうところが聞き所で、歌い手に対して様々な思いを抱くのだろうが…。

上演後、ホールで所々から聞こえてくる「寝てしまった」「話がよくわからなかった」という声は、私の印象と一致している。
上記の思いは、そもそもオペラの作りの話であり、演じている歌手やスタッフに関係はない。
敢えていうならば、字幕の作りにもっと工夫が必要だったかもしれない。(もちろん、様々な制約がある中でこれ以上は難しいだろうことは承知で)


演出は鵜山仁。演劇畑の方らしい。
舞台上はいかにも安っぽい舞台装置が使われている。
「悲劇と喜劇を同時に」と所望するような大富豪の邸内舞台と思えば、それなりにマッチした舞台ではあった。

演技者の演出という面では賛否両論ありそうだ。
演劇と違い字幕による表現伝達手段の一つが制限された中で、演技一つ一つに意味を持たせてまとめ上げるのは並大抵のことではない。
作品の性質上もあり、喜劇側の演出が悲劇側のそれを上回って(重きを置かれて)いたように思えた。

それよりも私が感じたのは、演出の意図が十分舞台上で表現されていたか、に対する疑問である。
一言で言えば「中途半端さ」。
喜劇にしても悲劇にしても、もっと練習なり調整をすればさらに洗練された表現になったのではないか、と思えてならない。
決して演技者の力不足ではなく、演出との調整不足・練習不足に起因するものだと感じた。

以下歌い手について(敬称略)
歌い手の中でもっとも拍手を集めていたのは、作曲家役の「小林由佳」、ツェルビネッタ役の「安井陽子」、アリアドネ役の「横山恵子」。
ただ、僭越ながら感想を述べると、アリアドネ役以外は私の印象に残るような演奏ではなかった。
それなりにうまいんだろうけど、別に強い印象を持つほどではない。
こういうレベルの歌い手になると、技術的なところよりもむしろ声の好き不好きで判断してしまうきらいがあるので、大した重みはないが率直な感想だ。
アリアドネ役は、技術に裏打ちされた安定した歌唱で、さすがに聞き応えがあった。

本オペラには2つの重唱グループが出てくる。
悲劇側の3人のニンフと、喜劇側の4人の恋人たち。
どちらもきれいな歌唱で聞き応えがあり、演技も見ていて楽しいものだった。

執事長役「田辺とおる」はその風貌からもっと野性的な声かと思ったが、意外と上品でちょっとがっかり。
しかし、音楽教師役「初鹿野 剛」・舞踏教師役「小原啓楼」とともに上手な演奏だった。

少ししか歌わなかったもののかつら師「三戸大久」とスカラムッチョ役「森田有生」の声は私の好きな部類だった。
もう少し長く聞ける機会を楽しみにしたい。

一方、いただけなかったのはバッカス役「青蜻f晴」。
音程云々の話は私にはわからぬが、とにかく音が不安定。
時折よい声が出てくるものの、高音域になると不安定になるので聞いていてハラハラした。
きっと今日は体調が悪かったに違いないと、自分に言い聞かせる。
あと、本人には関係ないが、あの衣装はどうなんだろうか。



オペラは劇中劇が終わるところで終了する。
無理な要望をした大富豪はどう思ったのだろうか。(結局一回も姿は見せない)
パーティーに招かれた客の反応は?
同じ舞台上にはいたものの、全くお互いの交渉がなく、独立して進む悲劇グループに無理矢理絡む喜劇グループのその後は?
処女作が訳わからん演出になってしまった作曲家の思いは?その後は?
多くのもやもやを抱えながら、オペラは終わってしまった。

「オペラ初めてです」という人にはちょっと推薦しかねるなと思いつつも、それなりに楽しめた今日のオペラであった。
また別の演出があれば見てみたい。

ゲネプロ(リハーサル)の様子(舞台の様子がわかる)
posted by K大 at 23:59 | Comment(1) | TrackBack(0) | 各種鑑賞
この記事へのコメント
昨日は雨の中お越しくださり、本当にありがとうございました。

確かに通好みの作品ではあるようです。しかも、演出家が打ち上げの挨拶で「今日見ながらあれはああしたいこうしたいと考えが溢れてきた」なんてのんきなことを仰っていました;;

稽古期間が異常に少なく、ほとんど練る暇もないまま本番だったような印象もあります。

再演の話がでれば良いのですが…
とりあえず無事にデビューしましたわ。
Posted by cecilia at 2008年06月30日 20:49
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