2011年06月12日

Facebookはじめました

久しぶりに更新してみる。

「ネットは危険」と思い始めたのがいつからだったか。
大学生の頃、一人暮らしをはじめて、電話線を引っ張って、テレホーダイ時間になったらネットにつないで、よくわからないままさまよっていた頃。
または、大学の共用パソコンでダイアルアップでは実現できないほどの早さで、ソフトウェアをダウンロードしてフロッピーに何枚かわけて保存し自宅に持ち帰っていた頃。
あのころはそれほど危険という認識はなかった。

あれから時が流れて、今では自宅でも電話線を使わず、WiMAXで家でも外でもつないでいる現状にあっては、これまで当たり前のように使っていた「プロバイダ」という業者も解約してしまい、あのころ常識と考えていたものが次々と変化していった。
ただ、いつの頃から根付いた「ネットは危険」という考えは今も変わらず強く残る。

海の向こうではしばらく前からFacebookなるものが社会インフラ化するほどの勢いで広まっており、しかもその波は日本にもやってきていることは周知の事実。
私も存在自体は知っていたが、何よりその実名主義のルールが自分の常識となじまず、距離をとってきた。

ある日、会社で一緒に仕事をしている人から「Facebookやろうよ」といわれ、招待状を送られた。
はじめは少し躊躇する面もあったが、せっかくの機会を生かさず、変化を恐れるようになったら人間おしまいだと思い、素直にはじめてみることにした。

まだ活用できているわけではないが、少し使ってみて思ったこと。
それは海外製のサービスによくあるUser Interfaceの弱さ。
Facebookと同じ分野のサービスは断然mixiだろうが、私の感覚ではmixiの方がよっぽどUIに優れている。
何をするにしても日本的細やかさのあるmixiに対して、Facebookは何がなんだかよくわからないし、思った操作もしにくい。(ただmixiは「あしあと」機能とかいうお節介で気持ち悪い機能があるのでほとんど使わないけど)

この感覚はデジャブだ。
以前、会社の研修で世界的に使われている会社用の決算ソフト「SAP」を3日間かけて触れたことがあった。
世界的なデファクトスタンダードであることから、さぞすばらしいソフトなのだろうと期待して触ってみたのだが、そのときもUIの貧弱さに驚いた覚えがある。
そのときの講師は、そのUIの貧弱さを認めた上で「世界的に使われているソフトもこの程度なのか、と思うことがこの研修のねらいの一つです」と言っていた。

おそらくこれらのソフトに共通しているのは、アーキテクチャーの堅牢さというか、土台の作りがしっかりしている部分にあるのだろうと思う。
SAPなどは世界の会計ルールの変更に対応できるように作られており、それこそが世界的に広く使われる理由になっているとか。
システム構築やソフトウェア開発に携わるものとしては、こういう部分を意識して開発に取り組むべきなんだろうとは思うが、そんな成果が出るかわからない、アーキテクチャーレベルから取り組めるような仕事などなかなかなく、思うだけにとどまっているのが歯がゆいところだ。
posted by K大 at 11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネット生活