2009年07月25日

日食は神秘的なのか

遅ればせながら、先日の日食についてのメモ書き。

いつの間にか席を外していた隣の先輩からのショートメールで、曇天空に浮かぶ部分日食を見た。
思ったより小さくて月のように欠けている太陽を見ることができたのは、残念だと思っていた曇り空によって強い光が適度にフィルタリングされたから。
本当は曇天だろうと何だろうと、肉眼で見ると失明かもしくは視力が落ちる恐れがあるとの事前情報は得ていたのだが、雲の切れ間に合計30s程度の観察だったし、今のところ何も変化ないので、とりあえずは大丈夫か。

皆既日食ではないせいか、部分日食を目にしても特別感動することもなく、かといってつまらんと切り捨てることもなく、ただ淡々と観察した。

世間ではかわいそうにも30万円出して皆既日食の中の嵐を経験した人や、8万円程度出して船上からの観察で非常にきれいな日食を観察したり、私のように曇り空の切れ目を求めて空を眺め続けたり、色々な人がいたようだ。
トカラ列島・悪石島は暴風雨に。竜巻も…避難呼びかけ、観測どころではなくなる(レス60番の写真が象徴的)

マスコミの最たるテレビでは、何の関係もない「空に太陽がある限り」を歌わせ、どんなものでも3流バラエティに変えてしまう特技をいかんなく発揮し、神秘的イベントを地にたたき落とすような愚行を喜んでいたようだ。
テレビ各局“日食”中継で大わらわ…テレ東は通常

まあ、マスコミの低俗さは今に始まったことではないので置いておくとしても、上記記事にある写真の「日食中継映像を写真に納める人々」の図は、なんだかばかばかしくて笑える。

さて、日食がいつどこでどのように見られるかはすべて計算されている。
2025年までに地球上で日食・月食の見られる場所マップ
もちろん、どういう仕組みで起きるのかもわかっているから、何の不思議さもないわけだが、人はこのイベントを「神秘的」という言葉をつけて呼ぶことが多い。(かくいう私も自然と上記で使っている)

神秘とは「人間の知恵では計り知れない不思議なこと。普通の認識や理論を超えたこと。」だが、理屈に関していえば何も不思議なことはないわけで…。
「そのような存在・関係性自体が神秘だ」とも言えるが、それを言ったら何もかもが神秘的になるので置いておく。

その表現は定義に照らして正しいのか、雰囲気で使っているだけではないか、自省したい。
posted by K大 at 20:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日々雑感